今回はGalleryA・C・Sで行われた遠藤浩治氏の展覧会を取材しました。
木版画によって刷り重ねられた植物と人との融和は、夢をみているような感覚を与えられます。それぞれの作品に刷られたモチーフが織りなす遠藤氏の世界をご紹介致します。
目をとじ、空間を漂う
人を中心に描かれる遠藤氏の版画作品。
作品の中に描かれた、ワンピースという服装から女性のようにも見える人物がほとんどの作品に刷られている。
このワンピースという服装は、概念を追求した上での選択であり、人物の性別から刷られたものではないので性別は意識されていないそうだ。
絶妙に描かれたこれらの人物の表情は何かに苦悶しているようにも、静かに眠っているようにも見えた。
そんな中で、どの作品にも共通していた特徴は目をつぶっているということだ。
この牛乳を撒いているような人物も、先ほどの作品でもどれも目をつぶっているのだ。
この目をつぶる行為にはどのような意味が込められているのか直接遠藤氏に伺ったところ、これにはどうやら浮遊しているような、夢の中にいるような感覚を伝えるための要素として入れ込んであるようだった。
確かに現実的ではない空間にこの人物が存在し、漂っている状況は遠藤氏の作品の中で浮遊感のような感覚を表現するのに大切な核となる部分である。
またその要素は、作品としての整合性を成立させていくことにも繋がっている。
循環の中に生きている私たち
作品をさらによく見ていくといくつかの作品の中に黒い水溜りのようなものが刷られていることに気づく。
遠藤氏曰くこれは無限に続いていく穴のようなものらしい。
この穴に入っていったものはまた再び植物として再生し、生まれ変わるという環境的な循環を表しているようだ。
これは人物と同じようによく刷られている植物というモチーフから考えるとわかりやすいだろう。
植物は生えて枯れ、土に還りそしてまた植物として生き返る。
この現実世界における当たり前の環境の循環を黒い水たまりという概念や植物というモチーフを用いて表現している。
ひとつひとつの刷られたモチーフの現実感と、構成のゆらりゆらりとしたおぼろげな状態の組み合わせが私たちにまるで夢を見ているような印象を与える。
この循環が概念性と現実性を併せ持つという性質を象徴的に表しているように思えた。
現代社会の中で食べ物を消費し、生産を続ける私たちはこの作品の中に描かれる人物に対してどのように向き合っていくべきなのだろうか。
彼または彼女は、私たちを隣にある植物と同じように見ているのかもしれない。
まとめ
彫刻的に刷られた、人物の肖像ともいえる遠藤氏の作品は、消費社会を生きる我々に対して生命が循環していく感覚を再認識させた。また、黒い水溜りなどのモチーフを用いることによって概念的観念の要素も取り込み鑑賞者により広い作品の世界を見せているように思えた。
前回取り上げたこのギャラリーの展覧会
展覧会情報
遠藤浩治 木版画展 会期:2019/12/07 ~ 12/21 open:11:00 ~ 18:00 場所:galleryA・C・S