かみさまである何かを探る。「化現の光」アートラボあいち

かみさまである何かを探る。「化現の光」アートラボあいち

2020-02-10
インスタレーション

今回取材したのはアートラボあいちで行われた展覧会「化現の光」

美術を観賞する際に感じる「何か」を「かみさまっぽい何か」と定義し探っていく展覧会でした。
音響と作品のコラボレーションが鑑賞者自身をここではないどこかへ連れ去っていったような感覚に陥れます。それではご紹介していきます。

かみさまっぽいもの

この展示での「かみさまっぽいもの」とは、美術作品などをみていると感じる「何か」だ。
この「何か」は、鑑賞者をその作品の前へと立ち止まらせ釘付けにし時間を忘れさせるほどの集中をさせてくる力のことを言っている。
美術が好きな方ならばそのような経験が何度かあるだろう。
しかし「何か」は何かでしかなく捉えようのないものである。
人がそれぞれ心奪われるものは違うし、何に感動し影響を受けるかは千差万別である。
そんな中でも作家それぞれが感じる神様を表現したのがこの展覧会であった。

3Fに上がりはじめに現れるのは神社の門のようなものだ。
この門はこれから始まる展覧会の空間を神聖なものに昇華する装置のような役割をになっているのかもしれない。

そこをくぐり中へ入ると様々な作品と音が存在する。

ガラスの作品やサイケデリックな絵画が展示されている。
この絵画はある種の信仰の過程による大麻使用で起こるバッドトリップを思い起こさせる。

そうした中で展開されていくこの展覧会は作品ひとつひとつが精神性を揺さぶってくるようだった。

日本におけるかみさま

すでに周知かもしれないが日本は宗教世界においては永世中立国である。

私たちはクリスマスパーティーをし初詣にもいくし、葬式をあげるときでさえ親がどんな宗教を信仰していたのかすら知らないこともある。
そんな無関心とも言えるこの国で神様を意識させるというこの展示の試みには心引かれるものがあった。

日本は永世中立国であるが故に個人の中にいる「かみさま」は多様性にあふれているのではないかと思う。
例えば人の形をしていなかったり、概念であったり、むしろ「かみさまっぽい何か」とでしか形容できなくなってしまったものであるように。

まとめ

私たちは日々かみさまを意識して生活することはないが、確かにそれは生活のそこかしこに横たわっていて目に見えない引力となって私たちを引き付けていく。
美術がその歴史を宗教で形作ってきたように、私たちが感動しているのは今目の前にある作品ではなく、作品に写った自分の中にある「何か」なのかもしれない。

展覧会情報

「化現の光」

アーティスト|浅井和真、小田智之、高木明子、名知聡子、西山弘洋、吉本作次
会場|アートラボあいち3階
会期|2020年1月11日(土)~2月16日(日)

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