確かにそこにある存在を確かめる。佐藤克久 末永史尚「少し先」

確かにそこにある存在を確かめる。佐藤克久 末永史尚「少し先」

インスタレーション

今回取材したのはSeeSawgalleryさんで行われた佐藤克久さんと末永史尚さん、2人の展覧会「少し先」

佐藤さんの作品に存在する不思議な可愛らしい鳥から見える景色と、末永さんの作品が問う物質性が重なり合い見える空間は私たちに何を映すのでしょうか。それではご紹介いたします。

概念に対しての認識

発表されていた佐藤さんの作品の中でも印象的だったのがこちらの二つです。

ギャラリーの扉を開けた次の瞬間に見えるということもあるのですが、最初に見た瞬間の疑問が心に残ります。

動物を四角く抽象化し、その後ろや側面に鳴き声が書いてあります。

ひよこの作品に関しては英語と日本語が反転して書いてありました。

四角の物体に抽象化された動物たちに対して、鳴き声だけで「あ、これは猫だな」や「ひよこだな」と思えてしまう人間の認知能力を利用しているような作品に感じました。

実際、ここに描かれているものがひよこや猫であるというように明言されておらず、タイトルも「ぴよぴよ(はんたいのええ)」「ニャー」というものになっていました。

また、絵画だけではなく立体の作品も展示されていました。

梯子のように壁にかけられたこの作品は「空枠」という三つの作品が一つにまとめられ展示されていました。

キャンバスの骨組みのような形をした木材が組み合わせられ作られたこの作品は、ちょうど窓の下に展示されていたのでまさに空中へ続く梯子のようにも見えました。

物質に対しての認識

一方少し入ったところに展示されている末永さんの作品は、立体作品が多く展示されていました。

ブロックのように立方体が組み合わさり作られているこの作品は「ふせん」というシリーズで展開されています。

ふせんを一枚一枚で認識するのではなく一つの塊として認識し構成するという行為は面白く感じました。

そのほかにも合板とアクリル絵の具で作成されたダンボール箱やライターなどハリボテだけれども説得感のある作品が展示されていました。

また、ギャラリーの外にある+hibitという展示スペースでも興味深い取り組みがされていました。

この作品たちは簡潔にいうと意図的に作者を不在にした作品たちです。

具体的なプロセスはこうです。

まず作品を募集し、その作品に合うような「作者の名前」を考えます。

そしてその考えられた「作者の名前」だけを頼りに違う人が作品をまた新たに製する。

という工程を経て作られた作品たちです。

ですのでここに描かれている作者の名前は存在しない人物の名前になっているのです。

展覧会を通してこのような虚構に着目している部分が多いように思えました。

虚構というのは余白というようにも捉えられアーティストにとってはある種のキャンバスのようにも見えているようにも思えました。

まとめ

物質や概念という私たちの身の回りを根本的に構成する要素を改めて抽出し、目の前に提示されたような印象を受けました。作者不明の空想による作品もとても興味深く感じました。虚無的な存在に存在価値を与える行為にはある種の面白さが待ち受けているようです。