今回取材したのはSTANDING PINEで行われた荒井理行氏の展覧会「歪む水平線」
写真を元にその周りで起こったことを想像で描いていく荒井氏の作品からは、抽象的ながらも手で自ら描いていくことによって今ここにない世界の広がりを感じさせます。また、独特な方法で描かれる点にも注目です。それではご紹介いたします。
虚構の重なり
荒井氏の作品は1~3枚の写真を元にして作られる。
作品の中央にある四角い痕跡はその証拠だ。
例えばこの作品だと、まず素材となる1枚目の写真を元に撮影された周りの風景を想像し描いていき、そのごそれをはがし2枚目も同じように描いていく。描き終わったら写真をはがし完成というプロセスだ。
元となる写真を剥がすことによって生まれる虚構の完全体はある意味では絵画の正統性に当てはまるように思える。
そもそも絵画というのは虚構である。
写実的に何かを表したとしても人間である限りそこには何らかのズレや歪みが生まれ、新たなオリジナルが生まれていくだけなのだ。
そういった絵画の本質的部分を新たなプロセスを経て描いていくのは興味深いように思えた。
また、絵具の使い方にも興味深い要素が含まれている。
荒井氏が描くこれらの絵画は注射器で描かれているのだ。
表現に注射器を用いることによって時空の歪みや時間の淀みを表していると荒井氏は語っていた。
なるほど、ぐしゃぐしゃと描かれる線は時間や空間が絡まり合っているのかもしれない。
描く上で漏れ出た物たち
この展覧会では、上記のような作品の他にこのような作品シリーズもあった。
これらは制作で余ったり使わなかったものを使い作られた作品だ。
荒井氏は虚構を描くものとして作られたもの(絵具)がさらに虚構として抽象画として現れることを興味深く感じていた。
では虚構に虚構を重ねていくと最後には何が現れるのか。
私自身は、オリジナルに行き着くのではないかと思う。
現代の様々な宗教や資本主義、法などそれらは全くの虚像であるが人々は存在すると認識している。
人々が存在すると信じるからこそ存在することができるのだ。
それゆえにこれらのシリーズが抽象画という観念で捕らえられてしまうことによってオリジナルと認識されてしまうそのパラドックスに私は面白く感じた。
まとめ
虚構に虚構を塗り固めていく現代社会において人々が苦しめられているものは虚構であり、それを救うのもまた虚構である。荒井氏の作品に描かれているモチーフも何らかのメッセージが読み取れるように思え、さらに作品に取り込まれてしまうのである。
前回このギャラリーで行われた展覧会
展覧会情報
荒井理行 個展「歪む水平線」 会期:2019.11.23 ~ 12.15 open:13:00 ~ 19:00 月・火・祝日休廊 場所:STANDING PINE 名古屋市中区錦2丁目5-24 えびすビル Part2 3F