今回取材したのはgallery HAMさんで行われた鈴木孝幸さんの展覧会「歩行の彫刻」
コールタールが充満した室内に点在する作品、それぞれは歩行という我々の日常に潜む行為を取り出し様々な形で表現されていました。黒いコールタールに浸けられ黒くなった様々な物質はどのような表情を見せてくれるのでしょうか。それではご紹介いたします。
「歩行」を彫刻する
鈴木さんの定義する「歩行」は、単純に身体が動くということではありません。
こちらの作品をみてください。
これは鈴木さんが主観的に歩行するところを延々と映してあるものです。
別の場所には客観的に撮影されたものもありました。
こうした中から浮かび上がってくる歩行という行為の定義は身体性だけではなく、自分自身を取り巻く周囲の環境も要素としてみているように思えます。
鈴木さん自身「「歩行」は、全ての人間にとって共通の大切なものだと考えます。単に移動と捉えることもできますが、その移動の中で目から入る情報も耳から入る情報も変化するし、当然そこにはリズムがあり、私たちを取り巻く周囲と自分との間に何らかの折り合いをつけていくような行動とすら感じられます。」とおっしゃっています。
なるほど、環境や周囲との関わりを認識され、メタ認知的に知っていくというものなのでしょうか。
黒く染め上げるその本質
作品に多く使われているコールタール。
コールタールはよくアスファルトやセメントを整地するために使われるのですが、今回の展覧会では様々なものがコールタールに染められていました。
そもそもコールタールとは石炭から生成されるものであり、発ガン性もあります。
そのようなものを使うことにはどんな意味があるのでしょうか。
鈴木さんは「内と外の関係性」についてコールタール用いて指摘していました。
私たちは石炭を地下から取り出し、加工して物質の表面に塗布することで、その物質の劣化を守る特性を利用しています。この表面をコールタールで覆うという行為こそが「内と外の関係性」に繋がるのです。
例えばセメントを敷き整地する時に上に塗るものはコールタールです。
セメントの材料は砂や砂利など比較的表層に存在するものが使用されています。その上にコールタールを塗るということは近くの内と外が反転するようなイメージになります。
またこのアスファルトが作る道路もまた、私たちが「歩行」する道であるのです。
こうした私たちを取り巻く環境から「歩行」を主観的・客観的に眺めることによって生まれる気づきをこれらの作品は与えてくれているのではないでしょうか。
まとめ
コールタールによって装飾された素材は様々な文脈から要素を受け継ぎ、「歩行」の存在を定義していくように感じました。
前回このギャラリーで行われた展覧会
展覧会情報
鈴木孝幸/Takayuki Suzuki 歩行の彫刻/place / face
会期:2019/08/02~09/14 13:00-18:00 日・月・祝日休 Closed on Sun, Mon and Holidays Opening reception / 18:00 - 20:00, 2 Aug 2019 夏季休廊/8月11日[日] - 8月19日[月]