目線の先に現れる希望の光。平川典俊「Seeking a Light」

目線の先に現れる希望の光。平川典俊「Seeking a Light」

2019-07-21
写真

今回取材したのはSTANDING PINE(名古屋市中区)さんで行われている平川典俊さんの展覧会「Seeking a Light」
この展覧会では、2005年のニューヨークの地下鉄を舞台にした作品を展示し当時の人々が抱える恐怖や希望、生きることへ対しての考えが表れているようでした。それではご紹介していきます。

当時だからこそできたこの構図

これらの作品が制作された2005年。
当時は2003.9.11に起こった同時多発テロの影響により地下鉄は人々から嫌煙されていました。なぜなら新たなる爆破テロが起こる可能性がある場としてみられていたのです。

そんな時代背景を鑑みて、これらの作品をみてみると少し印象が変わってくるのではないでしょうか。

「ただ何かを見つめている」という行為から「祈る」という行為へ昇華されたように感じました。当時はまだスマートフォンが普及していなかったため電車がどのくらいの時間にくるかわからないということや、目線がスマートフォンに縛られることがないということもこの作品がこの時期しか撮れなかった特別な部分でもあります。

次に被写体に注目してみると、地下鉄という暗い空間の中だからでしょうかゆっくりと浮かび上がってくるような感覚に囚われます。

まるで肖像画のような作品たちはこちらを見つめ何を問いかけているのでしょうか。

祈りの視点

並べられた二つの写真。
一方は被写体自身、もう一方は被写体が望む景色。

このように並べられ展示されているのは客観性と主観性を意識するためのようにも思えました。

しかし、本当にそうなのでしょうか。

結局のところここでの電車の存在というのはキリスト教でいう十字架のようなものであり、間接的な役割を担っているに過ぎないのです。
なるほど、平川さんは私たちに「祈る」とはなんなのか。希望とは、恐怖とは、と様々なことをこれらの作品を通して問いかけてきているように思えます。

まとめ

人が生きている中で感じる恐怖や喜び希望という部分にうまくフォーカスして完成された作品に感じました。カメラが意識されていない状態で映る姿は飾られることのない純粋な自己の内面を表現しています。

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展覧会情報

平川典俊「Seeking a Light」

会期:2019/7/13~2019/8/10
open:13:00 - 19:00
月・火・祝日休廊
(現在 企画展がない日もCLOSED)

場所:STANDING PINE
名古屋市中区錦2丁目5-24 えびすビル Part2 3F

STANDING PINEは、7月13日(土)より平川典俊の個展「Seeking a Light」を開催いたします。平川は1960年福岡県に生まれ、1988年に作家活動を始め1993年よりニューヨークを拠点に活動し、現在は国際的な現代アーティストとして知られています。写真、映像、ダンス、インスタレーション、パフォーマンスなどの多岐に渡る作品を制作し、その作品はVenice Biennale (ヴェニス)を始め、Site Santa Fe Biennale (ニューメキシコ)、Istanbul Biennale (イスタンブール) などの国際展や、MoMA PS1 Museum (ニューヨーク)、Centre Pompidou(パリ)、Museum fur Modern Kunst(フランクフルト)、Leeum (ソウル)、Hermes Forum (東京)など、世界各地の美術館、アートセンター、ギャラリーにおいて発表されています。

本展では、平川がニューヨークで制作した写真シリーズ「Seeking a Light」を日本初公開で展示いたします。「Seeking a Light」は、2005年の夏に様々なニューヨークの地下鉄の駅のホームで撮影され、電車を待つ人物の写真と、電車の光が接近する瞬間を捉えた写真で構成されています。

ニューヨークの地下鉄システムは、1904年に開通して以来市民にとって欠かせない基盤となっています。毎日600万人もの人々がこのインフラを通過し、656マイルにもなる線路と468の駅を移動します。

平川は、当時15年間のニューヨークでの生活を通して、ニューヨーカーがこのシステムを処理するための直感と本能に依存していることに気が付きました。そこに時刻表はなく、いつ電車が来るのかを誰も予想することはできません。今や世界中にある電光掲示板のような電車の到着を知らせる装置はなく、人々は未来をただ待ち遠しく思い、暗いトンネルの影に視線を集中させることしかできないのです。

「待つ」ということは、張り詰めた行為でありながら、霊的な行為でもあります。線路の縁に立ち、人々は瞑想し、トンネルの暗闇から何かを予感します。彼らは、まるで光の中から誰かが現れるのを期待して、霊的な場所を覗き込むかのように、地下鉄の車両の光を捜し求めるのです。